金神乃宮とは

 

金神乃宮とは

金神乃宮とは

祭神


祭神


天地金乃神てんちかねのかみ

天を司る日月の神「日天四・月天四」、地を司る金気の神「鬼門金乃神(金神)」の三神を「天地金乃神」とお祭りしています。天と地が神。世界が神です。

金光大神こんこうだいじん

金光大神とは、天地金乃神がお使いになる第一の眷属神です。眷属神とは、神と人とを仲介する役をもつ神の使い。金光大神に願えば天地金乃神へと届きます。

ご由緒


江戸後期、備中浅口占見の赤沢文治(金光大神)は十五カ年の間に、家族五人、牛二頭を亡くし七墓築き、村の人たちはこれを金神七殺の祟りと噂しました。さらに文治が四十二歳の大厄の年には、自身ものどけの病にかかり、医者に「九死に一生」と告げられます。親類の人たちが集まり病気平癒の祈祷をすると、新屋治郎という者に石鎚の神が神憑りとなりました。石鎚様は、「文治は普請、家移りにつき豹尾と金神に無礼致しており」と建築の際に方位を犯したとご指摘します。文治はこれを丁寧にお詫び申して、その後、金神さまを悪神邪神と恐れずに神としてまつり、おかげで病は全快しました。

さらに日増しに神の威力が増し、金神様より文治の手や口に御宣託が下がるようになります。その指示どおりにすればあらたかな利益があり、しだいに村中でうわさとして広まり、百姓から商人、藩士から殿様まで数多の人が遠路はるばる訪ね参りくるようになりました。文治は金光大神と成り神に仕え、参り来る人の願いを天地金乃神さまへと取り次ぎ、神の宣託を話して聞かせ、目の見えぬ者が晴眼し、足が立たぬ者が立つといったおかげが現れ、しだいに金神様の威徳が現れました。

元治元年正月一日に、金神様より、「天地金乃神には日本に宮社なし 参り場所もなし 二間四面の宮を建ててくれ」とお言葉が下ります。金神の知らせ通り建築にとりかかるも、棟梁や村の人の心得悪く、金神さまの機感にかなわず、宮は建築の半ばでお差し止めになりました。時は流れ令和の年、金神信仰を先祖四代から継承する者により、世の人の立ち行きと金神のひれいを願い、日天四・月天四・きもん金神を主祭神とし、人々の願い礼場所としてここに金神乃宮を開かれました。

御神徳

万物の出来る元をたどっていくと、みな天地へ行き着くように、恵みの出所はすべて天と地にあります。ゆえに子宝、安産、病気、豊穣、商売繁盛、縁結び、子孫繁栄、末繁昌など心しだいで広大なご神徳が受けられます。金光大神から始まったこの道の信仰は、日本各地へと広まり、これまでに何百何千万もの人が、天地金乃神から利益を授かりました。

御神徳

万物の出来る元をたどっていくと、みな天地へ行き着くように、恵みの出所はすべて天と地にあります。ゆえに子宝、安産、病気、豊穣、商売繁盛、縁結び、子孫繁栄、末繁昌など心しだいで広大なご神徳が受けられます。金光大神から始まったこの道の信仰は、日本各地へと広まり、これまでに何百何千万もの人が、天地金乃神から利益を授かりました。