金光教ってやばい宗教?第三者の意見で判断してみる

金光教ってやばい宗教?

現代の日本人の多くは、神社とお寺などの伝統宗教は”安全”、新興宗教は”危険”といった大雑把な分別を、無意識レベルで即座に行っています。

私たちがこのように宗教を拒絶してしまう理由は言うまでもなく、地下鉄サリン事件や霊感商法など一部の新興宗教が起こした事件が原因でしょう。

誰しもが匿名で発言できるネットが普及し、それまでの宗教団体がおこなってきた悪事がつぎつぎと露見。被害者の会がたくさん設立されている様子を見て、宗教家であるわたし自身も「新興宗教って恐ろしい」と思います。

いつからか漫画やアニメで宗教が題材となるときは、信者をマインドコントロールし、教祖は裏では酒池肉林、家庭は崩壊、陰では人をも殺す狂った集団という描かれ方をします。(最近では鬼滅の刃にでてくる極楽教とか)

多くの日本人のなかで宗教=洗脳という認識が植えつけられ、悪い言葉として用いられるようになりました。

このようなご時勢ですので、「金光教」という名を聞いて「もしかして新興宗教?やばい宗教?」と思われた方も少なからずおられるでしょう。

はたして金光教とは、やばい宗教なのか、それとも健全な宗教なのか。内部の人の意見では、そもそも信憑性が薄いため、本記事では第三者の意見を中心に金光教がやばい宗教なのか、健全な宗教なのかを解説していきたいと思います。

目次

金光教とは

金光教(こんこうきょう)とは、明治18年に教派神道の一つとして成立した宗教団体です。

教派神道とは、神道を宣教するために国家に公認された13の神道系の教団で、金光教の他には、黒住教や天理教、出雲大社教や神宮教などがありました。

神道といえば、神社というイメージが強いですが、神社神道(国家神道)と体系的な教えをもった教派神道があります。

  • 古事記や日本書記に基づいた神社神道(伝統)
  • 教えが体系化された教派神道(実践)

教派神道十三派のなかでも天理教・黒住教・金光教は規模が大きくなったため、後に幕末三大新宗教とよばれるようになります。当時は「こんこうさん」とよばれ、広く親しまれたそうです。

明治33年になると教派神道から独立して、神道金光教から金光教となり、現在は、教派神道連合会に加入しているかたちになります。

日本をはじめアメリカやブラジルを含む1500の教会があり、信徒数は約45万人だそうです。

金光教ってやばい宗教なの?第三者の意見をご紹介

この項目では、一般の方から世界的で活躍する宗教学者まで、第三者の目線で見た金光教の”よい評判”と”わるい批判”を集めました。どうか片方だけではなく両方を見てから、金光教がやばい宗教なのか、純粋な宗教家、ご自分の感覚で判断してみてください。

第三者の金光教への良い評価

一般の方からのよい評価

私は金光教がカルト新興宗教と同列に語られ、カルト扱いされているのが嫌でなりません。 最初にことわっておきますが私は金光教徒ではなくごく普通の仏教徒です。しかし金光 教と関わりのある学校に通っていたこともあり、金光教の教えも理解しています。 そもそも金光教は他の新興宗教とは違い、 ・勧誘はしない ・寄付は強要しない ・入信、脱退などは個人の自由。お金は一切取らない ・お守りや護符などの販売をしない などの特徴があります。 しかし現実的にこれらが広くしられているとは言えず、カルトであると誤解を招いているようです。

yahoo!知恵袋|宗教

↑仏教徒からの評価です。金光教は複数の学校を運営しているので、そこに通っていた方でしょうか。日本では義務教育で宗教について深く学ぶ機会がないので、なかなか難しいところですね。

天理教、金光教、立正佼成会、真如苑のように慈善事業、平和活動に取り組んでいる団体は多いです。 団体名に上がっている4団体さんを見ると、知恵袋でもそんなに批判は多くないんですよね。 健全な活動をしていれば、さほど批判されることもないんです。

yahoo!知恵袋|宗教

↑中立の宗教ウォッチャーからの評価です。知恵袋での評価の比率は他宗教からの意図的な批判も含めると、おおよそ良:悪=8:2くらいでしょうか。

母方の実家が信徒で、法事なんかも金光教式ですが 押しつけがましいところもなく、緩い感じです 寄付を要求されたり、何か買わされたりといったことも 自分の知る限りありません 参拝の作法などがありますが、拍手は4回、くらいの簡単なもので基本的には神道と同じです 熱心な人は毎日教会に行きますが、強制ではありません たまに祖母を教会に連れて行く(年に数回)自分にすら 先生は「○○君、よく来たねえ」と声を掛けてくれます

yahoo!|知恵袋|宗教

↑母方の実家が信心する方の評価です。おばあさんを車で送迎してくださっているのでしょうか、やさしい方ですね。金光教の教会は堅いところもあれば、緩いところも多いです。割合的には堅い:緩い=1:9でしょうか。

天理教の信仰初代なので天理教が1番(笑) あえてこの中で天理教以外を選ぶとしたら金光教さん 以前金光教の会長さん?が一緒におぢばがえりしてくださり他宗教にたいする姿が良かったです

yahoo!知恵袋|宗教

↑6つの宗教から、二つまともな宗教を選ぶとしたらどれですかという質問に対する回答です。天理教のおぢばには私もお参りさせてもらい、その建物の大きさ・甘露台の神聖さ・雑巾がけをしている方の歌の上手さに圧倒されました。

宗教学者など権威ある人のよい評価

家の普請の際に、ちゃんと金神さまの方位は犯さぬようにとその道の専門家に頼んでいたにもかかわらず、日柄方位の咎めを受け、「金神七殺」のひどい目あったのは川手文次郎さんであったが、この方はまれに見る正直で実意丁寧の人であったため、その真心を神に認められ神に頼られるほどになられて、ついには金光大神にまで登りつめた有徳のお方である。今日の金光教の開祖さんである。この御方が世に出られてからは金神の祟りはなくなったのである。

高宮八幡宮|渡邉勝義(国学院大学大学院文学研究科,神道学専攻,博士課程前期修了)の神道講座

↑高宮八幡宮のサイトより引用です。金光大神とは、金光教が教祖とする人物です。もとは百姓なんですが、祟り神として恐れられた金神を「神」として信仰するようになり、つぎつぎと奇跡があらわれるようになりました。

以下は、金光教大崎教会教会長田中元雄氏の「外から見た金光教」からの引用となります。

金光教というのは、荘孟の思想など、道教をもっとも純度の高い宗教として、生活レベルに現代化したような宗教ですね

福永光司(中国学者・中国思想史研究者。京都大学名誉教授,老荘思想・道教研究の第一人者)

↑金光大神の信仰は、生活そのものを修行とします。例えば、「夫婦は膳の上の箸のようなもの」といって妻や夫に不足に思うところをぐっと堪えて、自らの心を改めていき、夫婦円満をめざし、協力し合ってよい家庭を築くみたいな、そんな信仰です。

金光大神は、無学の方だったが、親鸞上人の説かれたひじょうに高度な内容の思想を平たく、リアルに語っておられる。たとえば、『神様はそこら中いっぱいにいらっしゃる』などの言は、実にすばらしい。教祖様は、きっと、いつでも、どこにでも、いっぱいに神様を実感しておられたにちがいない

松野純孝(仏教学者,東北大学文学博士)

↑金光教が教祖とする金光大神は、学のない人でもわかるように、むずかしい言葉は使わず、身近なことに例えて教えを説きました。なので、高尚な感じはしないのですが、素朴でどこか懐かしいような信仰です。

「日本で生まれたもっとも重要な宗教の一つは、金光教である。そして、いま世界にどんどん金光教が出ていって、世界の文化と世界の人々の問題と取り組んでいくことが大事である。それをしないともっと大きなスケールの宗教にはなりにくいのではないか」

岸本英夫(日本の宗教学者。東京大学図書館の館長、東京大学教授などを歴任)

↑岸本英夫氏は、戦後、GHQが日本の各宗教の戦時中の活動に対しての調査を行ったときに、翻訳をなさった方です。この調査は国家に加担した宗教を排除する目的で行われました。

他の宗教は存続にかかわるためにすべてをありのまま話すことはなかったそうですが、金光教の和泉乙三氏は質問された内容を一切ごまかさずに、ありのまま正直に話すので岸本氏はたいへん驚き、関心を持たれました。

「金光教は、たとえてみれば江戸前のにぎり寿司屋みたいな宗教だ。他の宗教は、いわばカレーライス屋みたいなものかな」と表現したそうです。

アメリカの宗教学会の会長をしていたチャールズ・ロング博士が教主金光様に会うために本部広前へ行った。そのとき、お結界では、老婦人がお取次をいただいていた。金光様が諄々と諭されている。当然のこととして、ロング先生は待たされた。そのことがロングさんの胸を深く打ったという。

 アメリカからはるばる著名な学者がやってきた。そんなとき、ほかの教団なら、どんな予約があってもそちらは差しおいて、学者と会うだろう。ところが、金光教では、誰がいま一番神様を必要としているか知っている。世間で偉いと考えられている人も、そうでない人たちも、神様の前では平等に扱われている。それがたんたんと、あたりまえのこととしておこなわれていることが、感動を催した。お結界では、悩みとか、苦しみとか、問題をかかえている人に対して、その難儀の深刻さに応じて、神様が平等に時間をくださる、そういう平等があるというわけである。ロング氏は、次に日本に来るときはほかの宗教はいいから、金光教のことだけをもっと知りたい、と言い残して離日したという。

荒木美智雄(元関西福祉大学学長、筑波大学名誉教授)

金光教では、お祀りしている神様の右側のお結界に人が座っています。ちょうど、神社の狛犬のような感じです。参ってきた人は、ここで神さまへ願いを取り次いでもらったり、話を聞いたりします。

金光大神の教えを見るかぎり、金光教は神道の一番よいところ、ほんとうに純粋なものを打ちだしている、と私は以前から思っている。

平井直房(国学院大名誉教授、比較宗教学)

↑神道は古来、海や山、川や岩に神が宿るという信仰でしたが、金光大神の信仰もこれと同じく、人間を生かし育む天と地を神と祀りました。

当時、アマテラスオオカミをはじめ天を神として崇める信仰は盛んでしたが、地を神として敬う信仰はなかったようです。金光大神は地の恵みを説き、神として祀りました。

第三者の金光教への批判やトラブル

個人からの批判やトラブル

私の認識は他宗教に寛容非難しない宗教だと思ってたのですが先日、金光教の信者の方と話をする機会があり話をしたのですがその人は他宗教のことについて「あの宗教は作り話だ」「あそこは幸せになれない仏教だ」とか終いには面と向かって私自身の宗教、(キリスト教)についても聖書のことを「あんたあんな本信じてるの?」とかいいだし始めてかなり不快な思いをしました。 正直かなりの排他的な宗教なんだなぁ、、と感じました。

yahoo!知恵袋

↑キリスト教の方の投稿です。金光教は、「宗旨嫌いをすな」という教えがあり他宗を悪く言わない方針ですが、個人レベルになると実行できているとは言い切れません。真向から自身の信仰を否定されると不快な気分にもなりますよね。申し訳ないです。

金光教のある教会と金銭的なトラブルになり本部に苦情と対応をメールしました。 本部からは各教会は独立採算制であるため本部では対応でき無いと言われ本人と話をするよう言われました。 金光 教に所属し教師をしている以上管理責任は本部にあると思うのですが間違ってますか? トラブルになってる教会長は気性が荒く口だけの為二人で話ができ無いと思い本部から誰か一人話会いに同席お願いしても無視されてます。 教会長は何だかんだ理由を付けて逃げてます。 このような教会の対応どう思いますか?

yahoo!知恵袋

↑金光教のとある教会と金銭トラブルになった方の投稿です。無事に解決しているといいのですが…

私の母は、元々仏教を信仰する家庭から金光教を信仰する家庭に嫁いで50年以上過ぎますが、毎日金光教の教会にお参りしていて、教会長から「あんたが毎日お参りせんかったら子供や孫に災いが起こるで 分かっとんか 」 「あんたは子供らーに信心のこと教えとんか❗ 教えてへんのとちゃうんか 」「あんたが病気するのはちゃんとお参りせえへんからや 」等々(他にもっと沢山ありますが)脅迫のような暴言を毎日母は教会長に吐かれています。他の信者さんや、親戚の伯母さんには絶対に脅迫のような暴言は一切吐かないのに、母にだけ暴言を吐くのですが、これは教会長のすることでしょうか?教会長は、信者さん皆分け隔てなく、差別することなく皆平等に接して、困っていたら手を差しのべるとかする人じゃないのでしょうか?

yahoo!知恵袋

↑教会長からパワハラを受けているとの投稿です。仰るとおり、金光教には「信心する人に不同のあつかいをすな」という教えがあり、人の立ち行きを願うのが神に仕える者の役目です。ちなみに、金光教の教典は「この道には日参(毎日のお参り)はない」と教えられております。

私は、友達に金光教の施設に誘われ行った事があります。 その時の教団の雰囲気や教会長、信者や一般人を(おい)や(お前)呼ばわりです。 あまりに礼儀知らずで不愉快な思いしました。 それに、その神主は、神前で、誰が来られるか分からない場所なのに、着替えをしていたんです。信じられないです。 私も信仰を持つ者として恥ずかしいですし、あんなものを信仰してる友達が可哀想になってしまいます。

yahoo!知恵袋

↑某信仰を持った方からの投稿です。もし、本当であれば人間としてどうなのか…他にも神前の前でコマネチしている教会長がいるといった指摘もあります。ここまでいくともは怪しいですが…

金光教には、親身に他人の批評や相談に対応することができない人ばかりで架空の神を崇拝して無駄な信仰している低級信仰教団です。 いい歳したおじさんが、若造だとほざく哀れさ、まともな教義がないので衰退の一途をまっしぐらこんな空虚な思いつき宗教は未だ類をみたことありません。他教の非難、個人共に非難をしてます。この金光教のホ―ムページには全く嘘が書かれてますので皆さん気をつけて下さい。触らぬ神に祟りなしです

yahoo!知恵袋

↑教会に参り価値観を否定された方の投稿です。もの凄い激論が交わされています…

権威のある方からの批判

以下は、金光教大崎教会教会長田中元雄氏の「外から見た金光教」からの引用となります。

ピュアー(純粋)なのはいいが、プアー(貧困)になっていないか。信仰的純粋性だけでは、泥にまみれた救済ができないのではないか、信仰エネルギーが出てこないのではないか

西山茂(ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了(MBA)、博士(学術)早稲田大学)

↑金光教は、小綺麗にまとまっているが、口先ばかりで人を助ける貪欲さが足りないという指摘でしょうか。たしかに、金光教成立初期と比べるとハングリー精神が確実に失われています。口先だけではなく実行力も必要ですね。

「金光教の人たちに会えば会うほど、金光教の全体像がみえにくくなる」「たいていの調査では、いくつかのサンプルをひろえば、共通点とか、ある程度の輪郭がみえてくるのだが、金光教では会う人ごとにユニークで、独自であるために、仮説が崩されるというか、人に会えば会うほど金光教のパターンというのは何なのだろう、と首をかしげてしまう」

渡辺雅子(ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了MBA,学術博士,早稲田大学)

↑批判とは言えないかもしれませんが、信仰の在り方が統一されていないという指摘ですね。良く言えば、寛容で実験的、悪く言えば、組織として統率が取れてない。金光教は各教会によって色が大きく異なり、真逆の教えをすることも多々あります。にもかかわらず、分派ができないのは不思議ですね。

「教団とは何か、を問いつめて、選挙不関与の立場を打ち出している教団がある。岡山に本部を置く金光教である。この教団は、役職にある者の立候補、推薦、応援などを禁止している。教団の役目は、政治に無関心な信者を動員して票に結びつけていくことではなく、個々の信者の自立を促すこと、という考えからであろう。したたかな知恵ではないか」

「朝日新聞」昭和57年2月21日朝刊

↑金光教では、「個人はいかなる政治的活動をするのも自由だが、教団・教会の責任ある地位にある者は、その名を使って公職選挙活動や、教団を代表するような政治的発言をしてはならない」と定められているそうです。

宗教組織はよく政治や個人の思想を実現するための道具として使われやすいので、個人的には現状でよいと思います。純粋な信仰を行うには、シンプルで不純の少ない組織の在り方が適していると思いますので。

金光大神は、「ふり売りするな」とは言っているが、「出ていくな」とは言っていないのではないか。金光教は信心していない人に対して、はなはだ不親切なことをしているのではないか。金光教のことを知らない人に知らしめる、金光教の救いにあずかれない人に手をさしのべる手だてを講ずる必要があるのではないか(西山茂氏、井上順孝氏)

西山茂(早稲田大学政治経済学部卒業、ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了MBA、学術博士)
井上順孝(日本の歴史学者・宗教学者。国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター長)

↑金光教は神前の右側に座り、参ってくる人の願いを神に取り次ぐという受動的な布教形態をとっています。そのため、基本的に教会から出ずにひたすら座って話すだけです。つまり完全に受けの姿勢であり、こちらからプッシュする機会はありません。

私個人としては、訪問して勧誘したり、大学生を数人で囲んで説得する等の宗教の押し売りは意味がないどころか、害になるので、常に受けの姿勢がよいと思います。

ただ、社会は何を求めているのかを考え、受け入れてもらえる工夫は必要ではないかと思います。

金光教が危険な宗教か「セクト構成要件の10項目」をもとに審査

日本では人に害を与える宗教をカルトといいますが、ヨーロッパではセクトとよびます。

政府の文書によってセクトと分類された団体一覧では、オーストリア、ベルギー、カナダ、フランス、ドイツ、アメリカ、中華人民共和国の政府から公式にセクトやカルトと分類した団体が記載されますが、その中に金光教はありません。

気になる教団があればリンク先から検索機能( ctrl + F )から教団の名前を入力して調べてみてください。

カルト(セクト)の定義

1995年12月、フランス国民議会でとりあげられた「フランスにおけるセクト」は通常の宗教か、カルトかを判定する国際的なひとつの指針となっているそうです。

この中で、以下のようにカルトか否かを判断する「セクト構成要件の10項目」があげられています。

  1. 精神の不安定化
  2. 法外な金銭的要求
  3. 住み慣れた生活環境からの断絶
  4. 肉体的保全の損傷
  5. 子供の囲い込み
  6. 反社会的な言説
  7. 公秩序の攪乱
  8. 裁判沙汰の多さ
  9. 従来の経済回路からの逸脱
  10. 公権力への浸透の試み

上の項目にあてはまる数が多いほど、カルトであるという指標になります。ここでは、実際に金光教の教典に記される金光大神の教えと比較してチェックしていきます。

金光教の教典と「セクト構成要件の10項目」を比較

1.精神の不安定化

カルト宗教は、「信仰する者のみ救われ、信仰しない者は地獄に落ちる」と脅して入信を強要させたり、団体からの離脱を防いだりするようです。カルト宗教団体から離れても、心に深いキズを負い、離れてもなお葛藤に苦しむ体験談を語る人もいます。

金光教の教えには、「信仰をやめれば地獄に落ちる」といった脅し文句の教えはなく、離れる人にもわりとさっぱりしています。

岡山の漁師で、はじめは信心に熱心であったが、家のことが都合よくいかず、「当分信心をやめますからお社を預かってください」と言って持って来た人があった。金光様は、

「それもよかろう。またいる時にはいつでも取りに来なさい」

と申しそえておかれた。その人が、また十年ぶりに取りに来て、「金光様、よい都合にいきません。信心している間はどうにかこうにかいっておりましたが、信心をやめてからは借金ができました」と言ったから、

「さあ、持ってお帰りなさい」

と言って持ち帰らせなさった。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅱ類,近藤藤守の伝え13

2.法外な金銭的要求

宗教でいつの時代も問題になるのは「お金」であり、カルト宗教だけに限った話ではありません。大きく立派な建物を維持するには、莫大なお金が必要不可欠なので、信仰するものに寄付を求めそれが原因で人は苦しみます。

金光大神は、「少しずつお金を集めたり、金品を要求してはならない」と教え、神様のお供えに不浄心が入らないようにしました。

私が、「金光様のご神殿の成就には三千円の金子がご入用とのことですが、その三千円の金子は大阪の氏子がお供えさせていただきます」と願い出たら、金光様は、

「近藤さん、その三千円は積んではあるまい。いずれ、大阪に帰って寄付を募るのであろう。周防の国の氏子も三千軒の氏子があるから一円ずつも出せばよいからと願い出たが、神様は、さすなよと言われる。

そこで、『せっかく氏子が願ったことをとめるのは悪いようであるが、よいと許した時には、国へ帰って、太郎さんも次郎さんもお出しなさい、お梅さんもお竹さんもおあげなさいと言って強いるつもりであろう。そうなると、喜んで出す者もあるが、数ある中には、出す金もなく悩む者もある。また後々では、あれは私がしてあげたと自慢する者も出て来る。「神は憂いの金では宮は建てない。喜びの金で宮を建てる。神が、後に、一人でできるような信者をこしらえてやる」との仰せである』と言っておいた」

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅱ類,近藤藤守の伝え4

このように、供える者の真心を第一にし、無理な寄付をしない信仰を伝えたため「法外な金銭的要求」には該当しないでしょう。

3.住み慣れた生活環境からの断絶

カルト宗教は、マインドコントロールを目的に信者を施設に隔離して、社会との接点を断ち切らせようとします。また、勧誘のときに宗教施設に招き入れ、入信するまで帰れないように監禁するという話も聞きます。

金光大神は、「神信心はよそに行かなくても、わが家でできる」と教え、それまでの生活を捨てて出家したり、山にこもっての修行よりも、家族が修行の練習帳と教えました。

広前奉仕に責任を感じ、ひと修行しなければならないと思い立って、金光様にお指図を願った。「ぜひ、ひとつ、しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、

「山に入ったら、どのようにして修行されますか」

とたずねられた。「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、また、

「いったい、どんな山に入りますか」

と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。金光様は、

「それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたら、それでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」

と、ありがたいみ教えをくださった。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅱ類,近藤藤守の伝え20

このように、金光大神は住み慣れた環境で心を改めてすごす信仰を伝えため、「住み慣れた生活環境からの断絶」には該当しないでしょう。

4.肉体的保全の損傷

カルト宗教では、暴力や性的虐待、幼児虐待が陰で行われるようです。質が悪いのが、事件として発覚しにくく長期にわたり被害がつづく点です。

金光大神は、「子の頭をはるよりも、自分の頭をはれ」と教え、子どもの心は親がつくるのであるから、家内円満を心得て、よい子どもを産むよう心得よと導きました。

末の安心が得られるかどうかは懐妊十月の間にある。その間、親が心を磨いていなければならない。赤い物を見れば子に赤いあざができるというが、それは形の上のことである。心にあざができると、せっかく大きく育てても、後で困るようなことになる。母の胎内は器である。水は方円の器に従い、人は善悪の友によるというが、その器であるから、母親が心を改めて自身からおかげを受けていかなければ、心にあざのできた子が生まれる。

この懐妊中の心得が信心のもとであるから、そのためには家内中、円満にして、懐妊中の者を泣かしたり、怒らしたりしないようにしなければならない。嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐというが、とにかく仲よくしなければならない。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅱ類,山本定次郎の伝え7

5.子供の囲い込み

カルト宗教は、情報を得る手段が限られ判断力にとぼしい子どもに対して、「世の中の人は悪魔に支配している」「この宗教だけが真理ですべては邪教」といった、極端な排他的思想を植えつける教育を行うようです。

金光大神は、「誘われてのしょうことなしの信心は、付け焼刃の信心」と教え、自主的な信仰が大切と説きました。また、子どもの教育に関しては、子どもを育てる親がよき心を目指すことが第一としました。

子供に飯を食わすとき、こぼせば三宝様の罰が当たる、目がつぶれる、たくさんに食うと腹が痛くなると、こういう悪いことを言わんでも、子供の目の前に悪い行いを見せぬよう注意するのが、親の養育の大肝要である。とかく上の人から、わが口で上段な教えをし、よろしい形の行いで教えをするのがよろしい。このようなことは、この広前へ参って来ん人でも、行いはよくできておる人もある。信心する人は人なみに下らんようにするがよろしいな。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅰ類,山本定次郎の伝え33

金光大神は、子供に話をして聞かせるのは大事と教えましたが、その内容は極端な排他的思想ではなく、「親切が大事」「食物は八合目で頂けよ」「潔い心で働けよ」といった内容なため、「子供の囲い込み」には該当しないでしょう。

6.反社会的な言説

カルト宗教は、「今の社会は裏で邪悪な組織に支配されている」といった陰謀論を説き、「洗脳されている人を助け、良き世界を創造するため」という名目を掲げ武力行使を計画、実行します。

対して金光大神は、「お上もかみ、神もかみじゃから、お上の規則にはずれたことをしたら神のおかげはないぞ。」と教え、神へは信、お上(国)へは忠、親へは孝の3つを大切にすようにと説きました。

百姓なれば、一反歩に二石の米を作る人もあり、二石五斗作る人もあり。人なみ以上作れば、人にほめられて、わが利得、国の強み。信心も、人の身の上、わが身の上を神様へ御願い、国家信心するがよろしい。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅰ類,山本定次郎の伝え51

7.公秩序の攪乱

公秩序の攪乱とは、善良な道徳観を乱して人の道を外れさせる洗脳でしょうか。「金を与えて犯罪を行わせる」「売春」「博打にまつわる金銭の貸借」「人身売買」「個人の尊厳・男女平等などの基本権に反するもの」などが該当するようです。

江戸時代の日本は、「けがれ」という観念により女性への差別がありました。けがれとは血や死に関わりのある人は罪であるという意識の事で、神はけがれを嫌うため月経中の女性や産婦は神に近づくことを禁じられました。

また、けがれは人から人へと伝染するものと考えられ、産婦は産後30日までのあいだ家とは別の小屋などに隔離され、家の井戸水やかまどを使うことを禁じられたそうです。

金光大神はこのような時代背景のなか、「女性は神に近い」「金神けがれを言わぬ神」と教え、人を生みなせる女性を尊き重要な存在と教えました。

汚れ不浄を言うなよう。一皮の内には、みな包んでおるのじゃからのう。手足、体を洗うより、腹の内を洗うことをせよ。

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅰ類,荻原須喜の伝え10

8.裁判沙汰の多さ

カルト宗教団体は、脱会した元信者に訴訟されたり、元内部の人間や個人がインターネットを通じて内部告発や批判を行い、それに対して団体側訴訟を起こすため、裁判の件数が多くなります。火のないところに煙は立たないように、裁判の数とカルトの度合いは比例するのかもしれません。

金光大神は、「和らぐ心になれ」と教え、家庭の円満が第一と説きました。家族とは、親しい間柄であるため、普段見せない汚いところが目についたり、甘えがでやすく、ささいな事が原因で喧嘩が起きたりします。その一家を心を改めて治めることを第一と教えたのです。

一家の和合は、一村の和合につながり、一村の和合は国家の和合につながるのです。

氏子、家の内は仲のよいのが神楽。言い事は家のしけ。船乗りは、しけといえば、命取りであろう

金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅰ類,市村光五郎の伝え2-8

9.従来の経済回路からの逸脱

宗教の中には、集会や奉仕活動への参加を強要され仕事に差支えができたり、よく働く人を批判するような雰囲気があったりするようです。

金光大神は「家業の行」と教え、いさぎよい心で仕事を勤めることを勧め、むやみやたらに神信心に時間を費やし家業をおろそかにすれば、それが神へのご無礼になると教えました。

何百度あげても、神がお受けくださらねば、言うたお祓は消えてゆく。消えてゆけば相損になって、時間を費やせば家業はできず、家が貧乏になって、人にそしられ笑われて、神様のごひれいを汚すことになるぞ。

 金光教本部教庁「金光教教典」理解Ⅰ類,島村八太郎の伝え17

10.公権力への浸透の試み

簡単に言えば、国や組織をカルト宗教の都合のよいように操るために、権力のあるポジションに信者を就かせて下の立場の者を強制的に従わせようとする試みですね。

金光大神は、「人に誘われてのしょうことなしの信心はつけ焼き刃の信心」と教え、他の人から無理に誘われ嫌々ながら行うような信仰に価値はないと説きました。

ちなみに金光教は、「個人はいかなる政治的活動をするのも自由だが、教団・教会の責任ある地位にある者は、その名を使って公職選挙活動や、教団を代表するような政治的発言をしてはならない」と定められています。

おわりに

明治16年に成立した教派神道の一派として成立した金光教は、各国にカルト・セクトのリストにも記載されておらず、一般の方からも大学教授や宗教学者の方からもよい評価をされている宗教です。

もちろん個人単位のトラブルや事件はゼロではありませんが、一般的な犯罪件数と比べるとごく僅かな比率であり、団体単位で見ればけっしてやばい宗教ではありません。

しかし、世間一般には知られておらず、金光教と聞けば「新興宗教かもしれない」と奇異な目で見てしまうのが現実ではないでしょうか。

日本人の多くが、新興宗教=危険といった認識をもつように、一部の宗教団体は凶悪な犯罪をおかし、危険な思想をもっています。

これはまぎれもない事実ですが、一方で新宗教に分類される教団のなかには、実直に神仏の道を説く宗教もあるのです。

国のため、人のためになる宗教を潰さないためにも、カルト宗教からの被害を減らすためにも、日本が宗教団体への一定の基準や審査を設けたり、宗教について学ぶ機会が必要だと思います。

また、善良な宗教は内々に閉じこもらず、時代の変化を受け入れ、世の人の声に耳を傾け、社会とのつながりを築き、信頼を積み重ね、柔軟に進化する努力が必要ではないかと感じます。

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